もっと、もっとと思う気持ちが感覚を鈍らせます
すでに想われているのに
十分に受け取っているのに
だけど
もっと、もっとと思ってしまう
それぞれの大きさは違うので
自分の大きさで物事を見てはいけません
赤ちゃんは生まれてきて生後間もなくの間
むしわらいをします
それだけでもうすでに親孝行が済んでいます
けれど健康でいて欲しい
すくすく育っていて欲しい
いい仕事について欲しい
大人になったらなったで、孫の顔が見たいとか
もっと、もっとは果てしがありません
子供側もまた然り
決して一人で大きくなったわけではありません
望んだ形でないとしても
今自分がいるということは何かしらの愛を受けてのこと
こうして欲しかったとか
自分はいらない存在だったとか
そんな風に感じることは
もっともっとの飢餓が押し寄せている証拠です
会社での人間関係でも
もっともっとは続きます
自分がここまでしているのだから
あの人もそうしてくれないとずるい
みんなはこれだけしているのに、それしかしない人がいる
自分が限界まで頑張ってしまうから
そうでない人に腹が立ってしまう
自分がここまでしているのだから
あの人ももっと頑張るべきだ
自分に余力を残します
ゆるゆると力を抜いて
まだ頑張れるけど、でもここまで
自分もちょっと甘えちゃったから
あの人だって少しくらい手を抜いているんだろう
ゆるく余力を残しておくと
いざという時に踏ん張れるもの
かえって効率よく物事がはかどったりします
毎日張り詰め過ぎないように
限界まで頑張らない
もっともっとは
外側に出しません
もっともっとの気持ちを引っ込めてみると
自分の中の贈り物に気付かされます
もっともっとは自分の内側の深くに滑り込ませて
自身の内側の感覚をもっと磨きます
*エグレット*