人からこんな事を言われたことがあるといって
自分が傷ついた言葉や出来事を大切に持っている人がいます
心が喜ぶ言葉や出来事は
常に出したり、しまったりした方がいいのですが
嫌なことを事あるごとに出してしまうのはよくありません
嫌な事、傷つく事は
たいてい受け手側の意識にあります
自分が気にしていることを言われたとか
本当の事だと意識しているからとか
何故なら
気にしていない事
事実でない事は気にもなりません
例えば
幼少期に親からこんなひどい事を言われたといって
愛に臆病になる人がいます
親からの愛情に疑いがあったのでしょう
親の期待に応えられていない自分は愛されないのでは
または、親が与えてくれている以上の愛を求めてしまっていたのだと思います
目の前にある愛を信じてその愛に満足していれば
そして
自分自身が自分というものを認めていてあげれば
どんな言葉や出来事も
一つのこととして
またいで歩くことが出来ます
そこに足枷のようにはまってしまうのは
何か心の中で克服しなければならないもの
カルマのようなものを持っていると言えます
自分を傷つけた相手の存在や言葉という
外のものに意識を置くのではなく
内側に意識を向けて
心の中の嫌がっている自分と話してこそ
次のステップが見えてきます
中にはわざと意識的に人を傷づけることをする人もいます
そういう人とは距離を置きます
わざわざ受け手になってあげる必要はありません
そういう人が自分に愛を向けているか、敵意を向けているかは自然と感じることが出来ます
敵意のある人とは、時を共有する必要はありません
嫌な出来事を振り返った時に
相手だけのせいではなく
何故そのことを嫌だと思ったのか
内側に取り込んで
きちんと消化して
自分の経験として成長させます
年齢を重ねることではなく
経験が魂を成長させます
人は魂の成長のために生まれてきています
*エグレット*