ピンチの時に

この世に生まれてきた意味の一つが経験することです

生れてくる環境はあらかじめ自分で設定してきています

大きなあらすじも決まっています

ですが、すべてが決まっているわけではありません

途中経過や結果は自分で変更することができます

矛盾しているように聞こえるかもしれません

運動会の障害物競走を思い出してください

あらかじめ障害物は決まっています

そして転ぶ場所も決まっています

でもどんな風に走るかは

自分の意思で変更できます

笑顔で走る

転んで泣きながら走る

こんなはずではないと怒りながら走る

もう嫌だと途中で座り込んでしまう


笑顔で楽しんで走り抜いたら

きっとゴールまであっという間でしょう

でも座り込んで泣いたままだったら

辛い時が続いてしまうでしょう

子供の頃

転んで痛い思いをしたのに

ひっくり返った格好が面白くて

笑ってしまったことはありませんか?

痛くて涙が出てるのに笑いも止まらない

擦りむいたところはヒリヒリ痛いのにその日1日思い出しては笑ってしまう

そんな経験はなかったでしょうか?

大人になると

転んで笑うという出来事がなくなっていきます

はじめから転ばないように気をつけるようになります

大人になる過程で

失敗を回避するようになります

人はこの世に出来事を経験するために来ています

そして人は時々

スリルも求めています

自分の人生は平穏でいたいと思う一方で

ゲームの中ではピンチを楽しんだりはしませんか?

難しいゲームほど攻略した時に楽しいと感じたりはしませんか?

自分の問題はなんなく解決できるように仕組まれています

そして何の問題もないはずなのに

何かしら問題を探そうとする癖が人にはあります

問題を探そうとするのは

失敗しないためにという前提があります

何があっても

それを乗り越えるだけの力量が誰しも備わっています

今心を悩ませていることは

本当に自分にとって問題なのでしょうか?

ピンチの時にそれを乗り越える力量は備わっています

今抱える問題は本当に問題なのか

それともお腹を抱えて笑い飛ばしてしまえることなのか

子供の気持ちに戻って考えてみます